サーフィンとスペイン語を愛するブログ

サーフィン、スペイン語、ゲーム情報などを発信します

言語は人の使用ありき

かつてのワテもそうだったが、中米で出会った日本人で辞書を異常に重要視し、現地人の主張を聞かない人がいた。しかし言語は人の使用ありき、文法、辞書は後付けである。辞書は人々の使用例をもとに作られる。文法や語彙のルールはあくまで円滑な意思の疎通を妨げないためにある。大衆の無意識の同意のもとに言葉は常に変化し続けているのだ。文法書や辞書は学習の助けになるが秘伝の書ではないのだ。

 

 

なにが言いたいかというと、サンプルを多く見ていけば自らの中にルールが見えてくるということだ。文法書などを読んでもよくわからないことが出てくるのは日常茶飯事だろう。それはそれとして保留にして勉強し続けていると、言語化されていなかったルールが小泉進次郎が言うところの46という数字のように、ぼんやりと頭の中に浮かんでくるのである。

ネイティブが共通認識として持っている文法の概念が―ワテが経理の時に叩きまくっていた電卓の様に用例のサンプラーを叩きまくって―サンプリングを重ねるうちに身についてくるというわけだ。

 

 

例えばワテが今一番苦しめられているのがReflexivo(再帰動詞)とObjeto Directo, Indirecto(直接、間接代名詞)の概念なので、後に振り返るために現時点での考えを「①間接代名詞(動詞の動作対象)、②直接代名詞(動詞の付随情報)、③動詞(動作)」とし、控えておく。基本的に①②③の順に構成される。~(動詞)と~se(例:comer, comerse)の違いがよくわからないこともしばしばあるが、話す時はとりあえずつけている。例えば、ocurrirseという単語はocurrirとは全く意味が異なるので、Se ocurrió un incendio.などというと明らかな間違いとしてネイティブに指摘してもらえる。

 

 

接続法は、「心が感情という生理によって、仮定や疑念が仮定や疑念のままで、現実から離れている時」に使うと認識している。実際の用法は以下の通り。

  • 影響(命令、希望、許可、禁止、意志、助言 等)
  • 感情と知らないこと
  • 不確かな情報と否定
  • 知らない名前
  • 因果(原因と結果)
  • 未来
  • 非現実

以上のうち定義に当てはまらなそうなのは⑤である。しかしこれも①の一種なのである。例えば、

Estudio español para que pueda vivir en México.

「メヒコで生活できるようにスペイン語を勉強する」

なんぞはわかりやすいであろう。

 

Su equipo de campaña solicitó formalmente desbloquear su cuenta después de que fuera cerrada por el asalto al Capitolio hace 2 años.

「彼の選挙キャンペーングループは、議会襲撃によって2年前に閉じられた彼のアカウントの凍結を解除するよう正式に依頼した」

 

これはどれに当てはまるのかよくわからない。英語でいうところの大過去を表現するためらしいのだが。しかしながらこれもとりあえず保留にして勉強を続けるうちにいずれ点と点が繋がる日が来るだろう。

 

最後に、とはいいながらも、辞書より人の用例を重視しすぎるのも禁物である。日本語で例えるなら、ドンキホーテにジャージにキティちゃんのサンダルで大親友の彼女のツレを連れて行くような者たちの言葉は俗語の極致であり、またひろゆきのような喋り方は人を怒らせる方法の動画のような結果を招くだろう。インターネットによってそういった輩の言葉にも出会いやすくなったが、外国人がこれらの言葉を使うのは滑稽であり、真似をすべきではない。真似をすべきは金田一秀穂や斉藤孝であろう。